主要事件判決9  「カルベジロールによる心不全の死亡率減少-進歩性事件」

主要判決全文紹介
《知的財産高等裁判所》
審決取消請求事件
(カルベジロールによる心不全の死亡率減少-進歩性事件)
-平成23年(行ケ)第10018号 平成23年11月30日判決言渡-

判示事項
(1)顕著な作用効果を看過した誤り(取消事由4)について
当該発明が引用発明から容易想到であったか否かを判断するに当たっては、当該発明と引用発明とを対比して、当該発明の引用発明との相違点に係る構成を確定した上で、当業者において、引用発明及び他の公知発明とを組み合わせることによって、当該発明の引用発明との相違点に係る構成に到達することが容易であったか否かによって判断する。相違点に係る構成に到達することが容易であったと判断するに当たっては、当該発明と引用発明それぞれにおいて、解決しようとした課題内容、課題解決方法など技術的特徴における共通性等の観点から検討されることが一般であり、共通性等が認められるような場合には、当該発明の容易想到性が肯定される場合が多いといえる。
他方、引用発明と対比して、当該発明の作用・効果が、顕著である(同性質の効果が著しい)場合とか、特異である(異なる性質の効果が認められる)場合には、そのような作用・効果が顕著又は特異である点は、当該発明が容易想到ではなかったとの結論を導く重要な判断要素となり得ると解するのが相当である。

(2)刊行物Aとの対比
訂正発明1については、カルベジロールを虚血性心不全患者に投与することにより、死亡率の危険性が67%減少する旨のデータが示されている。
これに対し、刊行物Aには、カルベジロールは虚血性心不全である冠動脈疾患により引き起こされた心不全の患者の症状、運動耐容能、長期左心室機能を改善する点の示唆はあるものの、死亡率改善については何らの記載もない。また、刊行物Aには、カルベジロールを特発性拡張型心筋症により引き起こされた非虚血性心不全患者に対し、少なくとも3か月投与したところ、左心室収縮機能等の改善が認められたことが記載されているが、死亡率の低下について記載はない。

(3)以上のとおり、訂正発明1の構成を採用したことによる効果(死亡率を減少させるとの効果)は、訂正発明1の顕著な効果であると解することができる。訂正発明1は、カルベジロールを虚血性心不全患者に投与することにより、死亡率の危険性を67%減少させる効果を得ることができる発明であり、訂正発明1における死亡率の危険性を67%減少させるとの上記効果は、「カルベジロールを『非虚血性心不全患者』に少なくとも3か月間投与し、左心室収縮機能等を改善するという効果を奏する」との刊行物A発明からは、容易に想到することはできないと解すべきである。

(4)被告の主張に対して
この点、被告は、訂正発明1に係る特許請求の範囲において、「死亡率の減少」という効果に係る臨界的意義と関連する構成が記載されておらず、訂正発明1は、薬剤の使用態様としては、この分野で従来行われてきた治療のための使用態様と差異がなく、カルベジロールをうっ血性心不全患者に対して「治療」のために投与することと明確には区別できないことから、死亡率の減少は単なる発見にすぎないことを理由に、訂正発明1が容易想到であるとした審決の判断に、違法はない旨主張する。
しかし、被告の主張は、以下のとおり採用の限りでない。
すなわち、特許法29条2項の容易想到性の有無の判断に当たって、特許請求の範囲に記載されていない限り、発明の作用、効果の顕著性等を考慮要素とすることが許されないものではない(この点は、例えば、遺伝子配列に係る発明の容易想到性の有無を判断するに当たって、特許請求の範囲には記載されず、発明の詳細な説明欄にのみ記載されている効果等を総合考慮することは、一般的に合理的な判断手法として許容されているところである。)。
また、カルベジロールをうっ血性心不全患者に対して「治療」のために投与する例が従来から存在すること、及び「治療」目的と「死亡率減少」目的との間には、相互に共通する要素があり得ることは、原告主張に係る取消理由2の4に対する反論としては、成り立ち得ないではない。すなわち、「『死亡率の減少』との効果が存在することのみによって、直ちに当該発明が容易想到でないとはいえない」という限りにおいては、合理的な反論になり得るといえよう。しかし、被告の論旨は、原告主張に係る取消事由4(「死亡率の減少が予測を超えた顕著性を有する」)に対しては、有効な反論と評価することはできず、その点は、既に述べたとおりである。

事件の骨組
1.本件特許の経緯
平成 8年 2月 7日  特許出願、 出願人 A
発明の名称「うっ血性心不全の治療へのカルバゾール化合物の利用」
平成16年 4月16日  特許登録     特許第3546058号
平成19年 9月13日  無効審判の請求
平成20年 9月17日  本件特許を原告に移転
平成21年 3月 4日  無効審判の審決  「本件特許を無効にする」
平成21年 4月13日  原告、高裁に提訴。 訂正審判を請求。
平成21年 6月 8日  審決を取消、審判に差し戻す旨の決定
平成22年 3月29日  審決  「訂正を認める。本件特許を無効にする」
平成22年 5月 6日  原告、高裁に提訴。
平成22年 6月 2日  原告、訂正請求  訂正2010-390052号
平成22年12月15日  訂正審判の審決  「請求不成立」
平成22年12月24日   同審決の謄本、送達

2 本件発明の訂正後の要旨
【請求項1】 利尿薬、アンギオテンシン変換酵素阻害剤および/またはジゴキシンでのバックグランド療法を受けている哺乳類における虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤であって、低用量カルベジロールのチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤の製造のための、単独でのまたは1もしくは複数の別の治療薬と組み合わせたβ-アドレナリン受容体アンタゴニストとα1-アドレナリン受容体アンタゴニストの両方である下記構造:
[化学構造式-省略]
を有するカルベジロールの使用であって、前記治療薬がアンギオテンシン変換酵素阻害剤、利尿薬および強心配糖体から成る群より選ばれる、カルベジロールの使用。
(請求項2~10は、省略)

3.本件審決の理由の要旨
訂正発明1は、本願の優先日前に頒布された刊行物「Journal of the American College of Cardiology Vol. 24.No.7 December 1994」における「特発性拡張型心筋症の患者における安静時血行動態変数及び運動時血行動態変数、運動負荷能力、及び臨床症状に対するカルベジロールの短期及び長期投与の効果」と題する学術論文(甲1。以下「刊行物A」という。)に記載された発明(以下「刊行物A発明」という。)及び本願優先日における技術常識に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものである。
訂正発明1と刊行物A発明との相違点
(ア) 形式的な相違点
訂正発明1は、「虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤であって、低用量のチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤」であるのに対して、刊行物A発明は「非虚血性のうっ血性心不全患者であって、クラスⅡ又はⅢの症状の患者を治療するための薬剤であって、用量漸増段階の終了後少なくとも3ヵ月間投与される薬剤」である点(審決書12頁2行目ないし7行目)
(イ) 実質的な相違点
a 相違点1
訂正発明1では「低用量のチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤」であるのに対して、刊行物A発明では「用量漸増段階の終了後少なくとも3ヵ月間投与される薬剤」である点(審決書15頁1行目ないし3行目)
b 相違点2
訂正発明1では「虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率を減少させる薬剤」としているのに対して、刊行物A発明では「非虚血性のうっ血性心不全の治療のための薬剤」としている点(審決書15頁4行目ないし6行目)

4.当事者の主張
(4-1)原告の主張
(1)訂正発明1と刊行物A発明との相違点の看過(取消事由1)
-省略-
(2)訂正発明1と刊行物A発明との実質的な相違点2についての容易想到性の判断の誤り(取消事由2)
-省略-
(3)訂正発明1と刊行物A発明との実質的な相違点1についての容易想到性の判断の誤り(取消事由3)
-省略-
(4)顕著な作用効果を看過した誤り(取消事由4)
β遮断薬について、本願優先日前に大規模臨床試験が行われたMCD試験(メトプロロール)とCIBIS試験(ビソプロロール)では、死亡率改善効果に有意差は認められなかった。また、本願優先日当時に心不全に対する死亡率減少効果が認められていたACE阻害薬であるエナラプリルによるうっ血性心不全患者の死亡率減少は16~27%であった。
これらと比較すると、訂正発明1の作用効果は、本願優先日当時、従来技術から当業者が予想もつかない顕著なものであった。

(4-2)被告の主張
(1) 訂正発明1と刊行物A発明との相違点の看過(取消事由1)に対して
-省略-
(2) 訂正発明1と刊行物A発明との実質的な相違点2についての容易想到性の判断の誤り(取消事由2)に対して
-省略-
(3) 訂正発明1と刊行物A発明との実質的な相違点1についての容易想到性の判断の誤り(取消事由3)に対して
-省略-
(4) 顕著な作用効果を看過した誤り(取消事由4)に対して
訂正発明1は治療目的の投与と何ら差異のない構成であり、当業者がその効果を期待できると評価していたといえることから、たとえ、その効果が学術的に価値あるものであったとしても、それは単なる効果の確認に過ぎない。
そして、うっ血性心不全という生命に直接関与する心臓という臓器に関する疾患であるから、その治療目的の投与と死亡率減少目的の投与とは実質的には区別できず、死亡率の減少は治療の延長線上にあるといい得る。
したがって、たとえ学術的に価値のある効果であったとしても、これをもって訂正発明1の進歩性を認めることはできない。

                   (要約 たくみ特許事務所 佐伯憲生)

  原告  第一三共株式会社
  被告  特許庁長官