主要事件判決3  「CMITを含まない発明-新規性事件」

主要判決全文紹介
《知的財産高等裁判所》
審決取消請求事件
(CMITを含まない発明-新規性事件)
-平成22年(行ケ)第10245号 平成23年10月24日判決言渡-

判示事項
(1) 特許法29条1項は、特許出願前に、公知の発明、公然実施された発明、刊行物に記載された発明を除いて、特許を受けることができる旨を規定する。出願に係る発明(当該発明)は、出願前に、公知、公然実施、刊行物に記載された発明であることが認められない限り(立証されない限り)、特許されるべきであるとするのが同項の趣旨である。
当該発明と出願前に公知の発明等(以下「公知発明」という場合がある。)を対比して、公知発明が、当該発明の特許請求の範囲に記載された構成要件のすべてを充足する発明である場合には、当該発明は特許を受けることができないのはいうまでもない(当該発明は新規性を有しない。)。これに対して、公知発明が、当該発明の特許請求の範囲に記載された構成要件の一部しか充足しない発明である場合には、当該発明は特許を受けることができる(当該発明は新規性を有する。)。ただし、後者の場合には、公知発明が、「一部の構成要件」のみを充足し、「その他の構成要件」について何らの言及もされていないときは、広範な技術的範囲を包含することになるため、論理的には、当該発明を排除していないことになる。したがって、例えば、公知発明の内容を説明する刊行物の記載について、推測ないし類推することによって、「その他の構成要件についても限定された範囲の発明が記載されているとした上で、当該発明の構成要件のすべてを充足する」との結論を導く余地がないわけではない。しかし、刊行物の記載ないし説明部分に、当該発明の構成要件のすべてが示されていない場合に、そのような推測、類推をすることによってはじめて、構成要件が充足されると認識又は理解できるような発明は、特許法29条1項所定の文献に記載された発明ということはできない。仮に、そのような場合について、同法29条1項に該当するとするならば、発明を適切に保護することが著しく困難となり、特許法が設けられた趣旨に反する結果を招くことになるからである。上記の場合は、進歩性その他の特許要件の充足性の有無により特許されるべきか否かが検討されるべきである。

(2) 本件発明1の「CMITを含まない」との構成要件により、技術的範囲を限定したことの意義について
本件発明1に係る特許請求の範囲の記載によれば、本件発明1は、概要、①「MIT、BITを含む」、②「CMITを含まない」、③「病原性微生物によって感染されるものに付与される生物致死性組成物」との各構成要件によって限定された技術的範囲からなる発明である。
そして、「CMITを含まない」との構成要件によって、その技術的範囲に限定を加えた趣旨については、発明の詳細な説明欄の記載によれば、CMITは、バクテリア、真菌類(カビ)及び藻類に対して、高い抗微生物活性を有するという利点があるが、他方、アレルギー反応等人体に悪影響を引き起こし、産業排水中のAOX値(有機塩素等の濃度)を高めるため、産業排水規制の観点から、その使用が望まれない等の欠点があったため、そのような課題に対する解決方法として、MITとBITを同時に使用して、各成分を個々に使用した場合に必要な濃度に比べ、低い濃度で使用しても抗微生物効果を発揮させることができるようにし、かつ「CMITを含まない」との限定をすることにより、課題解決に至った趣旨の説明がされている。
上記のとおりであるから、「CMITを含まない」との構成要件を付加することにより、その技術的範囲を限定した趣旨は明確であり、また、特許請求の範囲に記載された「CMITを含まない」との文言の意義も不明瞭な点はない。

(3) そうすると、甲1には、MIT及びBITからなる実施例が示されていたとしてもなお、同実施例の記載から直ちに、「CMITを含まない」との構成要件を充足する発明が記載、開示されていると認定することはできない。
なお、審決は、本件明細書において、①MITを作成することができるとして引用された米国特許第5,466,818号明細書(甲40)によれば、MITは、CMITとMITとの混合物を分離することによって得られるものであって、MIT中のCMITが1/245未満含まれているものは、実質的に純粋なMITであるとしていること、②本件明細書に「この方法で得た反応生成物を、たとえばカラムクロマトグラフィーで精製してもよい。」【0021】との記載を指摘して、カラムクロマトグラフィーによる精製でも特定の物質を完全に除去することはできないことは当業者の常識であるから、本件発明において、「CMITを含まない」とは「CMITが僅かな量を含んだものを許容する」趣旨であると解釈した上、本件発明におけるCMITの含有量と甲1発明におけるCMITの含有量の差異が明らかにされなければ、相違点ウは、実質的に相違しないと判断している。
しかし、「両者の含有量の差違が明らかにされなければ」差違があるものとすることはできないとの点につき、本件発明1が甲1発明であること(すなわち、本件発明1が新規性を有しないこと)を根拠付ける事実は、審判請求人(被告)において、その事実が存在することの主張、立証を負担すべきであるから、審決の判断は、その点において失当である。

事件の骨組
1.本件特許の経緯
平成10年 8月20日  国際特許出願、
発明の名称「 相乗作用を有する生物致死性組成物」
平成19年 8月 3日  特許登録      特許第3992433号
平成20年12月25日  無効審判を請求 無効2008-800291号
平成22年 3月29日  審決  「特許第3992433号の請求項1~7、18に係る発明についての特許を無効とする。特許第3992433号の請求項8~17に係る発明についての審判請求は、成り立たない。」

2本件発明の要旨
【請求項1】 
少なくとも2つの活性な殺菌剤を含み、活性な殺菌剤のひとつが2-メチルイソチアゾリン-3-オン(判決注:以下、明細書の記載を転記する場合も含めて、「MIT」と表記することがある。)である、病原性微生物によって感染されるものに付与される生物致死性組成物において、より活性な殺菌剤として1,2-べンゾイソチアゾリン-3-オン(以下、明細書の記載を転記する場合も含めて、「BIT」と表記することがある。)を含み、5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オン(以下、明細書の記載を転記する場合も含めて、「CMIT」と表記することがある。)を含まないことを特徴とする生物致死性組成物。
- 請求項2~7 省略 -
【請求項8】
非極性の液状媒体として、キシレンおよび/またはトルエンを含むことを特徴と
する請求項5記載の生物致死性組成物。
- 請求項9~18 省略 -

3.審決の概要
本件発明1ないし3は、特開平6-138615号公報(甲1)記載の発明であるから、特許法29条1項3号に該当する。本件発明4及び7は、甲1記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり、同条2項に該当する。本件発明5、6及び18は、甲1記載の発明であるか又は同発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、同条1項3号又は同条2項に該当する。以上により、本件発明1ないし7及び18は、無効とすべきである。本件発明8ないし17に係る特許については、無効とすべき理由を認めることはできない。

一応の相違点
(ア) -略-
(イ) -略-
(ウ) 前者では「5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オンを含まな
い」と特定されているのに対し、後者ではそのような特定がなされていない点

 本件明細書には、「この方法で得た反応生成物を、たとえばカラムクロマトグラフィーで精製してもよい。」と記載されているが、カラムクロマトグラフィーによる精製でも特定の物質を完全に除去することはできないことは当業者の常識であるから、本件発明において、「5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オンを含まない」とは、実質的に5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オンを含まないを意味するものと認められる。
そうすると、甲1発明1において2-メチルイソチアゾリン-3-オンに不純物として5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オンが仮にわずかに含まれているとしても、本件発明においても2-メチルイソチアゾリン-3-オンに5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オンは実質的に含有しない、言い換えれば、2-メチルイソチアゾリン-3-オンに5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オンをわずかな量含有することを許容するものであるから、2-メチルイソチアゾリン-3-オンに含まれる5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オンにつき、両者の含有量の差違が明らかにされなければ、本件発明の2-メチルイソチアゾリン-3-オンと甲1発明1の2-メチルイソチアゾリン-3-オンとに差違があるものとすることはできず、相違点(ウ)については、実質的に相違しないものである。

4.当事者の主張
(4-1)原告(特許権者)の主張

(1) 取消事由1(相違点(ウ)に係る新規性判断の誤り)
本件発明は、単独での抗微生物活性はあまり高くないMITと1,2-べンゾイソチアゾリン-3-オン(BIT)を組み合わせることで、その相乗効果により、広い抗菌スペクトルと高い抗菌活性を達成した点に第一の特徴がある。MITは真菌類(カビ)に対する効果は小さく、BITも、ある種のものを除いて、真菌類に対する効果は小さい。しかし、MITとBITを同時に使用すると、それぞれ単独では効果のない真菌類(カビ)に対しても良好な抗微生物効果を示し、CMITに匹敵する高い抗微生物活性と広いスペクトル(広範囲の微生物に対する効果)を有するようになる。MITとBITの相乗効果によって、当時一般的であった“CMITを含むMIT”から、その抗微生物活性を維持したままCMITを除去することが可能になった。本件発明は、CMITを含まないことにより、CMITに起因する人体や環境に対する悪影響を排除した。
本件優先日当時、“CMITを含まないMIT”やその製造方法は公知であったが、製品としての“5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オン(CMIT)を含まない2-メチルイソチアゾリン-3-オン(MIT)”は市販されておらず、単にMITと言えば、それは通常“CMITを含むMIT”を意味するものであった。「5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オンを含まない」との要件は、こうした本件優先日当時一般に用いられていた“CMITを含むMIT”と区別するために加えられた記載である。それゆえ、単にMITとしか記載されていない甲1発明は、「CMITを含まない」という要件によって、本件発明と形式的に区別される。

(2)取消事由2(相違点(カ)に係る新規性判断の誤り)~取消事由6(相違点(ヌ)に係る新規性判断の誤り)
-省略-



(4-2)被告の主張
(1) 取消事由1に対し
本件明細書には、「実質的にCMITを含まない」とはどの程度のCMIT量を含まないことを意味するのか、あるいは、「実質的にCMITを含まないMIT」をどのように得るかについて記載がなく、かつ、本件発明1に対応した実施例は、単なるMITとBITの組み合わせを開示するにすぎない。
本件発明1に対応するMITとBITからなる実施例は、優先基礎明細書の時点から記載されてはいるが、当該優先基礎明細書には、「CMITを含まない」との技術的構成についての記載はなく、CMITを含ないとの点は、発明の解決すべき課題ではなかった。
甲1にもMITとBITの組み合わせからなる組成物が記載されており、甲1発明を解釈するに当たり、本件発明1と同様、優先日時点における当業者の技術常識が参酌されるべきであるから、本件発明1と甲1発明とを区別するべき根拠はない。
(2) 取消事由2ないし6に対し
-省略-

                   (要約 たくみ特許事務所 佐伯憲生)

  原 告    トール ゲゼルシャフト ミット ベシュレンクテル ハフツング
  被 告    ローム アンド ハース カンパニー