主要事件判決11 「糖尿病併用薬-記載要件事件」

主要判決全文紹介
《知的財産高等裁判所》
審決取消請求事件
(糖尿病併用薬-記載要件事件)
-平成23年(行ケ)第10146号、
 平成23年(行ケ)第10147号 平成24年6月14日判決言渡-

判示事項
(1)実施可能要件について
そして、物の発明における発明の実施とは、その物を生産、使用等をすることをいうから(特許法2条3項1号)、物の発明については、明細書にその物を製造する方法についての具体的な記載が必要であるが、そのような記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき当業者がその物を製造することができるのであれば、上記の実施可能要件を満たすということができる。

 そして、本件各発明が実施可能であるというためには、本件明細書の発明の詳細な説明に本件各発明を構成する各薬剤等を製造する方法についての具体的な記載があるか、あるいはそのような記載がなくても、本件明細書の記載及び本件出願日当時の技術常識に基づき当業者が本件各化合物を製造することができる必要があるというべきであるところ、前記1(1)に記載のとおり、本件明細書には、ピオグリタゾン、ビグアナイド剤及びグリメピリドの製造方法については記載がないものの、前記1(4)に認定のとおり、NIDDMに対する薬剤としてピオグリタゾン、ビグアナイド剤及びグリメピリドが存在し、かつ、ビグアナイド剤にはフェンホルミン、メトホルミン又はブホルミンが存在することは、本件出願日当時の当業者の技術常識であったから、これらの各薬剤や、ピオグリタゾンの薬理学的に許容し得る塩は、いずれもその当時、NIDDMに対する薬剤として既に製造可能となっていたことが明らかである。
したがって、本件明細書は、本件発明1、2、3及び7について、実施可能要件を満たすものであることが明らかである。

(2)サポート要件について
したがって、本件各発明のサポート要件の有無の判断に当たっては、特許請求の範囲に記載された発明が本件明細書に記載されているか、当該記載又は出願時の技術常識により当業者が本件各発明の上記課題を解決できると認識できる範囲内のものであるか否かについての検討を要する。

 本件明細書は、前記1(1)エに記載のとおり、ピオグリタゾンと併用すべきビグアナイド剤としてフェンホルミン、メトホルミン又はブホルミンを明記しているものの、前記1(2)に認定のとおり、ピオグリタゾンとビグアナイド剤との併用実験に関する記載はなく、その記載のみからは、直ちに本件発明1ないし3が本件各発明の前記課題を解決できると認識できるとは限らない。
(イ) しかしながら、前記1(4)に認定のとおり、インスリン受容体の機能を元に戻して末梢のインスリン抵抗性を改善するインスリン感受性増強剤と、嫌気性解糖促進作用等を有するビグアナイド剤とでは、血糖値の降下に関する作用機序が異なることは、本件出願日当時の当業者の技術常識であったものと認められる。
そして、作用機序が異なる薬剤を併用する場合、通常は、薬剤同士が拮抗するとは考えにくいから、併用する薬剤がそれぞれの機序によって作用し、それぞれの効果が個々に発揮されると考えられるところ、糖尿病患者に対してインスリン感受性増強剤とビグアナイド剤とを併用投与した場合に限って両者が拮抗し、あるいは血糖値の降下が発生しなくなる場合があることを示す証拠は見当たらない。
むしろ、-中略-
以上によれば、当業者は、インスリン感受性増強剤であるピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩の投与により血糖値の降下を発生させる場合に、併せてこれとは異なる作用機序で血糖値を降下させるビグアナイド剤であるフェンホルミン、メトホルミン又はブホルミンも投与すれば、ピオグリタゾンとは別個の作用機序で、やはり血糖値の降下を発生させることができ、もって本件各発明の課題である糖尿病に対する効果が得られることを当然想定できるものというべきである。
したがって、本件明細書の記載は、本件出願日当時の技術常識に照らすと当業者が本件各発明の前記課題を解決できると認識できる範囲内のものであるから、本件発明1ないし3は、本件明細書に記載されたものであるということができる。



事件の骨組
1.本件の経緯
平成 9年12月26日  特許出願    発明の名称「医薬」
特願平9-350756号
原出願:特願平8-156725号
平成19年 6月22日  特許登録 特許第3973280号
平成22年 5月11日  原告、無効審判請求 無効2010-800088号
平成23年 3月22日  審決
「訂正を認める。特許第3973280号の請求項1ないし6に係る発明についての特許を無効とする。特許第3973280号の請求項7ないし9に係る発明についての審判請求は、成り立たない。」

2 本件発明の概要
請求項1~6に記載の発明:
(イ)ピオグリタゾン(インスリン感受性増強剤)、及び、
(ロ)ビグアナイド剤(嫌気性解糖促進剤)を組み合わせてなる糖尿病薬。
請求項7~9に記載の発明:
(イ)用量0.05~5mg/kgのピオグリタゾン(インスリン感受性増強剤)、及び、
(ハ)グリメピリド(SU剤)を組み合わせてなる糖尿病薬。

3.当事者の主張
1 取消事由1(本件発明7ないし9に係る実施可能要件及びサポート要件についての判断の誤り)について
〔原告の主張〕
明細書の発明の詳細な説明には、出願に係る発明が公知技術を基礎として容易に到達することができない技術内容を含んだ発明であることを当業者が理解できるように解決課題及び解決手段、すなわち発明の効果が記載されている必要がある。
そして、本件明細書には、本件発明7のグリメピリドとは異なるSU剤であるグリベンクラミドとピオグリタゾンとの併用しか記載されていないところ、グリメピリドは、グリベンクラミドよりもインスリン分泌促進作用が弱いにもかかわらず、同等又はそれ以上の血糖降下作用を有することが知られているから、グリベンクラミドとグリメピリドを同視することはできない。まして、ピオグリタゾンとグリメピリドとの併用と、その他のインスリン感受性増強剤と他の主なSU剤との併用との効果の違いは、本件明細書に何ら記載されていない。
したがって、本件明細書には、発明の効果が記載されておらず、実施可能要件及びサポート要件を充足しない。

2 取消事由2(本件発明7ないし9の容易想到性に係る判断の誤り)について
〔原告の主張〕
本件審決は、引用発明をピオグリタゾン及びグリメピリドのいずれか1つを単独で有効成分として使用するものと認定した上で、相違点1を認定している。
イ しかしながら、ある刊行物に当業者が実施可能な程度に発明の構成が開示されており、かつ、医薬品としての有用性が期待できる程度の開示があれば、当該刊行物には発明としての医薬発明が記載されていると解されるところ、公知の医薬品の組合せに基づく併用医薬は、その構成が示されていれば、当業者はその有用性を試験によって確認できるから、発明としては完成していることが明らかで、臨床的効果の記載まで必要ではない。
そして、引用例3の図3には、「将来のNIDDM薬物療法のあり方」と題して、①α-グルコシダーゼ阻害剤(ボグリボース)とSU剤(グリメピリド)との併用、②α-グルコシダーゼ阻害剤とインスリン感受性増強剤(インスリン抵抗性改善剤ともいう。トログリタゾン及びピオグリタゾン)との併用、③SU剤(グリベンクラミド又はグリクラジド)とインスリン感受性増強剤(トログリタゾン)との併用という3つの技術的思想が記載されており、-以下省略-

3 取消事由3(本件発明1ないし6に係る実施可能要件及びサポート要件についての判断の誤り)について
〔被告の主張〕
しかしながら、医薬発明の審査基準は、医薬用途を裏付ける1つ以上の代表的な実施例の記載が明細書には必要であるとしているが、特許発明に含まれるすべての化合物についての実施例を要求していないし、当初明細書に薬理試験結果が記載されている場合には、その記載から当業者が予測可能な範囲において追加的な薬理試験結果を提出することを否定していないから、医薬発明の実施可能性(法36条4項)は、当該発明の技術上の意義を理解した上で、それが発明の詳細な説明に記載されているか否かを、明細書の開示を含めた一切の事情に照らして判断するものであって、薬理データの記載があるか否かのみによって判断されるものではない。
むしろ、ピオグリタゾン及びビグアナイド剤は、いずれも本件優先権主張日当時、公知の物質であり、当業者であれば製造が可能であるし、本件明細書の記載に基づけば、両者の組み合わせにより糖尿病の予防・治療薬として製造・使用等することができるのは明白である。したがって、本件発明1及びこれを更に特定した本件発明2ないし6は、いずれも実施可能要件を充足する。
医薬発明の審査基準は、明細書の記載と出願時の技術常識に照らして、治療剤としての有用性を当業者が推認できる限り、薬理試験を必ずしも要求していないから、医薬発明のサポート要件(法36条6項1号)は、発明の詳細な説明の記載と特許請求の範囲とを対比した上で、出願時の技術常識に照らして、発明の詳細な説明の記載により当該発明の課題を解決できると当業者が認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断するものであって、薬理データの記載の有無で判断するものではない。

                   (要約 たくみ特許事務所 佐伯憲生)

   第10146号事件被告、第10147号事件原告
   (以下「原告」という。)  沢井製薬株式会社
   第10146号事件原告、第10147号事件被告
   (以下「被告」という。)  武田薬品工業株式会社