主要事件判決18 「緑内障治療剤-進歩性事件」

主要判決全文紹介
《知的財産高等裁判所》
審決取消請求事件
(緑内障治療剤-進歩性事件)
-平成22年(行ケ)第10322号 平成23年6月9日判決言渡-

判示事項
(1) そして,特許法29条2項により,同条1項3号にいう「刊行物に記載された発明」に基づいて当業者が容易に発明をすることができたか否かを判断するに当たっては,同条1項3号に記載された発明について,まず刊行物に記載された事項から認定すべきである。引用例1には,緑内障治療にカルシウムアンタゴニスト活性を有する薬剤と眼圧を下降させる薬剤の併用が開示されているのみで,Rhoキナーゼ阻害活性と緑内障治療についての開示は一切存在しないことに照らすと,引用例1の記載に接した当業者は,たとえ,そこに記載された具体例の1つであるHA1077が,たまたまRhoキナーゼ阻害活性をも有するとしても,そのことをもって,引用例1に,Rhoキナーゼ阻害活性を有する薬剤と眼圧を下降させる薬剤を併用する緑内障治療が記載されているとまでは認識することができないというべきである。
なお,特許出願時における技術常識を参酌することにより当業者が刊行物に記載されている事項から導き出せる事項は,同条1項3号に掲げる刊行物に記載されているに等しい事項ということができるが,刊行物に記載されたある性質を有する物質の中に,たまたまそれとは別のもう一つの性質を有するものが記載されていたとしても,直ちに当該刊行物に当該別の性質に係る物質が記載されているということはできず,このことは,むしろ,容易想到性の判断において斟酌されるべき事項である。
(2) なお,原告は,引用例1に記載されたカルシウムアンタゴニストがRhoキナーゼ阻害剤と一致することを主張しているのではなく,両者が共通して有する血管拡張作用という人体に対して奏する作用機序の同等性を根拠として,当業者であればカルシウムアンタゴニストをRhoキナーゼ阻害剤に置換することを容易に試み得たと主張する。しかし,引用例1では,カルシウムアンタゴニストが有する血管拡張作用に加え,虚血状態下で起こるカルシウム過負荷の有害な影響からの細胞保護作用も期待して,カルシウムアンタゴニストを緑内障治療に使用するものであるから,血管拡張作用の共通性のみをもって,カルシウムアンタゴニストをRhoキナーゼ阻害剤に置換するということはできない。
(3) 上記固定配合剤は,シュレム管流出路からの房水流出促進作用を有する薬物と房水産生の抑制作用を有する薬物の配合剤であり,チモロール以外の房水産生の抑制作用を有する薬物とシュレム管流出路からの房水流出促進作用を有する薬物の併用も,優先権主張日に周知であったということができる。
そうすると,原告が主張するように,β遮断薬であるチモロールとシュレム管流出路からの房水流出促進能を有する薬物を併用することが周知であるとしても,シュレム管流出路からの房水流出の促進作用を有する薬剤と併用する薬剤には,非選択的β遮断薬であるチモロールの外に,α2アドレナリン作動薬や炭酸脱水酵素阻害薬,β1選択性のβ遮断薬やαβ遮断薬が存在し,また,チモロール以外の房水産生の抑制作用を有する薬物とシュレム管流出路からの房水流出促進作用を有する薬物を併用することが周知であったから,チモロールとシュレム管流出路からの房水流出促進能を有する薬物の併用の周知性を根拠に,シュレム管流出路からの房水流出の促進作用を有する薬剤と併用する薬剤として,チモロールが特に適したものであるということはできない。
しかも,引用発明2は,緑内障治療剤としてのチモロールに,眼局所の乾燥感,アレルギー性眼瞼炎,表層角膜炎等の副作用等の課題があったことから,チモロールに替わる緑内障治療剤として発明されたRhoキナーゼ阻害剤である((R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドからなる単剤である。引用発明2にチモロールを組み合わせるには,上記の課題の解消も図る必要があり,これが図られない状態で,単剤として発明された上記Rhoキナーゼ阻害剤にチモロールを併用することを想到できるとはいえない。
よって,緑内障治療に係る眼圧下降薬の併用療法に関し,引用発明2に組み合わせる別の眼圧降下薬として,チモロールを採用して本件発明1を想到することが容易であるとはいえない。
(4) 上記のとおり,特許発明の進歩性の判断では,先行技術である単独療法と比較して併用療法の効果を確認することができればよいのであって,多数の実験動物や緑内障患者により併用療法の効果の確実性を確認しなければ,先行技術と比較して顕著な効果が認められないというものではなく,実験動物の数を問題とする原告の上記主張には理由がない。また,エラーバーの重なりについても,本件明細書の図1の2時間及び4時間経過後のデータでは,併用投与群と単独投与群の間で原告が指摘するような重なりはなく,このデータにより,本件発明の緑内障治療剤が増強された眼圧下降作用を有するということができるから,原告の主張を採用することはできない。



事件の骨組
1.本件特許の経緯
平成15年11月17日  特許出願、
発明の名称「Rhoキナーゼ阻害剤とβ遮断薬からなる緑内障治療剤」
平成21年 5月29日  特許登録      特許第4314433号
平成21年12月 3日  無効審判を請求 無効2009-800243号
平成22年 8月31日  審決  「本件審判の請求は、成り立たない。」

2本件発明の要旨
【請求項1】 Rhoキナーゼ阻害剤とβ遮断薬との組み合わせからなる緑内障治療 剤であって,
該Rhoキナーゼ阻害剤が(R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b] ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドであり,
該β遮断薬がチモロールである,緑内障治療剤。
【請求項2】 Rhoキナーゼ阻害剤とβ遮断薬との組み合わせからなり,お互いに その作用を補完および/または増強することを特徴とする緑内障治療剤であって,
該Rhoキナーゼ阻害剤が(R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b] ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドであり,
該β遮断薬がチモロールである,緑内障治療剤。

3.本件審決の理由の要旨
本件審決は,本件発明1に関する判断の前提として,引用例1[注:特表平7-508030号公報(甲1)]に記載された発明(以下「引用発明1」という。),本件発明1と引用発明1との一致点及び相違点,引用例2[注:国際公開第00/09162号パンフレット(甲2)]に記載された発明(以下「引用発明2」という。),本件発明1と引用発明2との一致点及び相違点を,以下のとおり認定した。
ア 引用発明1:HA 1077等のカルシウムアンタゴニストとβ遮断薬であるチモロール等の眼圧を下降させる化合物との組合せを含む緑内障治療用の眼局所用組成物。
イ 本件発明1と引用発明1との一致点:β遮断薬と他の薬剤との組合せからなる緑内障治療剤であって,該β遮断薬がチモロールである,緑内障治療剤である点。
ウ 本件発明1と引用発明1との相違点:本件発明1では,上記他の薬剤がRhoキナーゼ阻害剤であって,該Rhoキナーゼ阻害剤は(R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドであるのに対して,引用発明1では,上記他の薬剤がHA 1077等のカルシウムアンタゴニストである点。
エ 引用発明2:Rhoキナーゼ阻害剤からなる緑内障治療剤であって,該Rhoキナーゼ阻害剤が(R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドである緑内障治療剤。
オ 本件発明1と引用発明2との一致点:Rhoキナーゼ阻害剤を含む緑内障治療剤であって,該Rhoキナーゼ阻害剤が(R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドである緑内障治療剤である点。
カ 本件発明1と引用発明2との相違点:本件発明1が,β遮断薬であるチモロールとRhoキナーゼ阻害剤である((R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドとの組合せからなるのに対し,引用発明2はRhoキナーゼ阻害剤である((R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドからなる単剤である点。

4.当事者の主張
・原告の主張
(1) 取消事由1(引用発明1に基づく容易想到性の判断の誤り)について
HA 1077(塩酸ファスジル)は,p160ROCK阻害剤として優先権主張日当時知られており(甲4),HA 1077の一般的属性はカルシウムアンタゴニストであるとともにRhoキナーゼ阻害剤でもある(甲12~14)。
特許法29条1項3号所定の刊行物に記載されている発明とは,刊行物に記載されている事項及び記載されているに等しい事項から当業者が把握できる発明をいうところ,引用例1にはHA 1077とチモロールの組合せよりなる緑内障治療剤が開示されており,HA 1077はカルシウムアンタゴニストであるとともにRhoキナーゼ阻害剤であることも優先権主張日当時の技術常識であったのであるから,当該技術常識を参酌すれば,引用例1には「Rhoキナーゼ阻害剤であるHA1077とチモロールの組合せよりなる緑内障治療剤」が開示されているに等しいことは明らかである。
(2) 取消事由2(引用発明2に基づく容易想到性の判断の誤り)について
互いに眼圧下降機序の異なる治療法を組み合わせて併用療法の効果を得るとの知見,具体的には,ピロカルピンとチモロールとの併用療法について開示された周知例1ないし3に接した当業者であれば,房水産生を抑制するβ遮断薬(チモロール)と,経シュレム管流出を促進するピロカルピンを併用して総和(相加)効果が得られることは,優先権主張日当時,当業者に周知自明の事項であった。
・・・・・
よって,周知例1ないし3に開示されたピロカルピン(主たる流出経路である経シュレム管からの房水流出促進作用を有する。)とチモロール(房水産生抑制)との併用療法において,Rhoキナーゼ阻害剤(主たる流出経路である経シュレム管房水流出促進作用を有する。)をもって,上記併用療法においてチモロールと組み合わせたピロカルピンと置換することは,優先権主張日当時,当業者なら容易に試みることができた事項である。
そして,その際,Rhoキナーゼ阻害剤として本件発明1における(R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドを選択することは,引用発明2の特定事項そのものである。

 ・被告の主張
(1) 取消事由1(引用発明1に基づく容易想到性の判断の誤り)について
引用例1に記載されて対比の対象となり得る発明は,あくまで「緑内障治療用の眼局所用組成物」に係る技術的思想であり,眼局所用組成物は,「HA 1077等のカルシウムアンタゴニスト」と眼圧を下降させるという効能を有する「β遮断薬であるチモロール等」との組合せを含む2剤以上の組成物である点である。
引用例1に,「緑内障治療用の眼局所用組成物」の発明として,HA 1077の「Rhoキナーゼ阻害剤」としての作用機序を利用する記載及びその効果を確認する記載が一切ない以上,技術的思想として原告主張の引用発明を抽出することはできない。周知の事項であれば,刊行物に当該発明の開示がないにもかかわらず,記載されるに等しい事項として引用発明の中に何でも取り込んでよいものではない。
(2) 取消事由2(引用発明2に基づく容易想到性の判断の誤り)について
-省略-

                   (要約 たくみ特許事務所 佐伯憲生)



  原告  千寿製薬株式会社
  被告  参天製薬株式会社