主要事件判決12 「欠陥組換えウイルスによる遺伝子治療、進歩性事件」

主要判決全文紹介
《知的財産高等裁判所》
審決取消請求事件
(欠陥組換えウイルスによる遺伝子治療、進歩性事件)
- 平成22年(行ケ)第10170号、平成23年3月10日判決言渡 -

判示事項
① しかしながら、確かに引用例1の文言自体は、「未来の遺伝子治療の可能性の基礎を与えるであろう」とするにとどまるもので、短期間において遺伝子治療に係る技術が確立することが期待できないかのように解する余地はあるものの、先に指摘したとおり、本件優先日当時、欠陥組換えウイルスを用いた遺伝子治療の研究が進められており、一部の遺伝病(血友病B、家族性高コレステロール血症、ADA欠損症)においては、人間を対象にした成功治験例が報告されていたのであるから、かかる技術水準を前提とすると、引用例1に接した当業者が、上記文言から、将来における実現に係るLPL遺伝子を使用した遺伝子治療の実現可能性を期待するものということができるから、引用例1の上記文言自体は、LPL遺伝子を遺伝子治療に用いることの阻害要因となるものではない。
同様に、本件優先日当時、遺伝子治療による有力な対象として遺伝病が指摘されており、人間に対する成功治験例が複数報告されていた以上、引用例1において治療の可能性が指摘されているLPL欠損による家族性高カイロミクロン血症症候群は遺伝病の一種であることから、いかなる遺伝子治療による処置が有効であるのか等については予測困難であったものということはできない。

② また、本件補正発明は、欠陥組換えウイルスに係る発明であるところ、本願明細書の実施例7においては、同ウイルスの使用例として、同ウイルスをマウスに注射する方法が記載されてはいるが、実施例7には、LPLの活性型の発現については、実施例5に記載の条件において確認することができる旨が記載されているにすぎず、マウスの体内で目的とする遺伝子が発現したか否かすら、明らかではない。したがって、同ウイルスを人間に用いた場合に治療効果が発揮されるか否かについても、当然不明であるから、同実施例において、本件補正発明の遺伝子治療の効果が実際に確認されたことを実質的に示すものであるということもできない。本件補正発明に係る欠陥組換えウイルスは、先に述べたとおり、本願明細書において、その製造方法及び使用方法については開示されているものの、当該ウイルスを具体的に製造できたこと及び当該ウイルスが遺伝子治療に使用するウイルスベクターとして有用であることを示す具体的な結果も記載されていない以上、本件補正発明は、LPLが関与する疾患の遺伝子治療のウイルスベクターとして使用するために、自己複製できないように改変されたウイルスにLPLをコードする核酸配列を導入するという着想を示したにすぎないものであって、同発明が、従来技術からは予測不可能な効果を有するものであるということもできない。
なお、本件製品については、その詳細が明らかではなく、本件補正発明の実施品であるか否か自体、不明であるし、本件各文献についても、本件補正発明との関連性は不明である。しかも、本願明細書には、特定の有効な効果を発揮する欠陥組換えウイルスが具体的に製造されたことに関する記載がない以上、本件製品は、本件優先日後に判明した特定の欠陥組換えウイルスが存在する可能性をうかがわせるものにすぎない。したがって、本件優先日後の研究開発によって製品化が実現し、また、本件優先日後の文献に、欠陥組換えウイルスに関連する記載があったとしても、そのことをもって、直ちに本件補正発明が顕著な効果を有していることが裏付けられるものではない。原告の主張は採用できない。



事件の骨組
① 本件の経緯
平成 7年 5月22日  特許出願
発明の名称:組換えウイルス、製造方法および遺伝子治療での使用
特願平8-500419号
平成19年 4月17日  拒絶査定
平成19年 7月23日  審判請求
不服2007-20372号
平成19年 8月20日  手続補正書提出(本件補正という。)
平成22年 1月 4日  本件補正による発明は、独立して特許を受けることができないとして却下され、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決
② 補正後の請求項1の記載
リポタンパク質リパーゼ(LPL)をコードする核酸配列を含んでなる欠陥組換えウイルス。
③ 本件補正発明の技術内容
本件補正発明は、LPLをコードするDNA配列を含有する組換えウイルスベクターに関連する発明であって、同ウイルスベクターを遺伝子治療における治療的使用に有効的に活用することをその目的とするものである。
そして、本件補正発明のウイルスは不完全、すなわち標的細胞中で自己複製することができないものであることから、「欠陥組換えウイルス」とされているものである。
したがって、本件補正発明は、LPLをコードする核酸配列を含んでなる欠陥組換えウイルスに関する発明であり、当該欠陥組換えウイルスは、遺伝子治療に使用するウイルスベクターとして有用なものであるということができる。
④ 審決の概要
本件補正発明は、「引用発明1」ないし「引用発明3」に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明することができたものであるから、独立特許要件を満たさないとして、本件補正を却下し、本件出願に係る発明の要旨を本願発明のとおり認定した上で、本願発明は引用発明1ないし3に記載の発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、本願発明は、特許を受けることができない、というものである。

⑤ 原告の主張
(1) 引用例1について
引用例1には、単にトリグリセリド血症を発病した患者の遺伝的研究が記載されているにすぎず、リポタンパク質リパーゼ(LPL)遺伝子の機能を回復する手段については何ら記載も示唆もされていない。
本件審決が引用する「LPL又はapoC-ⅠⅠ どちらかの欠損に導く遺伝子の欠陥の解明は、この症候群によってひどく冒されている個人における、未来の遺伝子治療の可能性の基礎を与えるであろう。」という記載は、将来、遺伝子治療の可能性の基礎がもたらされるであろうこと、すなわち、現時点では時期尚早であることを示唆するものにすぎず、かかる記載から、LPL遺伝子を遺伝子治療に用いようとすることが動機付けられるものではない。
(2) 本件補正発明の効果について
本件出願に係る優先権主張日(以下「本件優先日」という。)である平成6年(1994年)6月2日時点では、遺伝子治療は予測不可能な分野であり、いかなる遺伝子治療による処置が有効で、疾患を治癒に導くのかを予測することは困難であった。実際、引用例2に記載された実験には、レトロウイルスベクターが患者において機能することは示されていない。
したがって、LPLをコードする核酸配列を含んでなる欠陥組換えウイルスによる遺伝子治療が成功するという本件補正発明の効果は、従来技術からは全く予想できないものであった。
また、遺伝子治療により、処置できるかもしれない幾つかの疾患が公知であったとしても、本願明細書の実施例7に示されているように、遺伝子治療が成功するという効果は予測できないものというべきである。

⑥ 被告の反論
(1) 引用例1について
ア 遺伝子治療の技術開発状況について
遺伝子治療とは、「細胞になんらかの外来遺伝子を導入し、疾患の原因となっている遺伝子を置き換える(correction therapy)か、あるいは不足している遺伝子の機能を補充(supplement therapy)することによって治療効果を得ようとするものである」(乙1文献)ところ、前記各文献によると、本件優先日当時、かかる遺伝子治療の基礎技術が開発され、周知技術となっていたことは明らかである。
イ 引用例1について
ヒトに対する遺伝子治療には、ターゲットの選定、発現のコントロール等の技術的課題が存在するため、本件補正発明が対象とするLPL遺伝子に関しても、本件優先日において解決すべき様々な問題があり、直ちにヒトに対する遺伝子治療を実施できるような状況にはなかった可能性は否定できない。
しかしながら、新しい治療法の開発において、一般に、試験管内の細胞やモデル動物に適用した基礎研究の段階から、ヒトに適用した臨床研究へと段階的に進行するのが通常であって、種々の疾患で遺伝子治療の試験研究が行われていた状況からすれば、LPL遺伝子に由来する疾患に対して、まず周知の遺伝子治療の技術を用いて、当該遺伝子による遺伝子治療の基礎研究を試みることは自然の発想である。
そして、引用例1には、LPL遺伝子による遺伝子治療の可能性が記載されているのであるから、その記載に接した当業者であれば、LPL遺伝子が遺伝子治療に用い得るか否かを確認してみることを強く動機付けられるというべきである。原告の主張は、本件優先日当時における遺伝子治療の技術水準を不当に低く解するものであって、失当である。
(2) 本件補正発明の効果について
-省略-

                   (要約 たくみ特許事務所 佐伯憲生)

  原告  アベンテイス フアルマ ソシエテ アノニム
  被告  特許庁長官