主要事件判決10 「フルオロエーテル組成物-実施可能要件事件」

主要判決全文紹介
《知的財産高等裁判所》
審決取消請求事件
(フルオロエーテル組成物-実施可能要件事件)
-平成22年(行ケ)第10249号及び第10250号、
平成23年4月7日判決言渡-

判示事項
(1) フルオロエーテルの1種であるセボフルランがルイス酸によって分解される機構は、訂正明細書(甲132)2頁上から2行ないし4頁下から11行、8頁上から7行ないし10行に記載されているところ、訂正明細書には、上記分解を抑制する方法に関して、次のとおりの記載がある。
・・・・・ 中略 ・・・・・
訂正明細書の発明の詳細な説明には、ルイス酸によるセボフルランの分解を抑制する薬剤(ルイス酸抑制剤)のうち好適なものとして水を使用することが記載されており(9頁5行~11頁10行)、また、実施例1に係る記載(13頁上から8行~14頁下から3行)ではセボフルランに添加する水の量が増加するに従ってよりセボフルランの分解を抑制(防止)し得ることが記載されている。そして、実施例2ないし7、とりわけ実施例4に係る記載では(14頁下から2行~26頁上から2行)、各実施例における反応温度、反応時間の条件に差異があるものの、セボフルランに添加する水の量が206ppm以上の場合にセボフルランの分解を抑制し得ることが記載されており、また訂正明細書の9頁末行ないし11頁4行では、フルオロエーテル化合物としてセボフルランを選択し、ルイス酸抑制剤として水を選択した場合には、添加される水の量は飽和レベルである0.14%w/w(重量/重量パーセント)を上限とする旨が記載されている。
(2) したがって、訂正明細書の発明の詳細な説明には、当業者が、セボフルランに一定の含有率で水を含有させた麻酔薬組成物(本件訂正発明1)及びかかる含有を特徴とする麻酔薬組成物の調製方法(本件訂正発明2、3)を実施できることはもちろん、かかる含有によりルイス酸によるセボフルランの分解を防止する方法(本件訂正発明4)についても、これを実施できる程度に明確かつ十分な記載がされているということができ、各訂正発明につき特許法36条4項1号の実施可能要件に欠けるところはない。審決は実施可能要件の充足の有無につきこれと異なる判断をするものであって、その判断には誤りがある。
(3) なお、確かにルイス酸は極めて広範な概念であり、ルイス酸の作用機序も様々である上、各訂正発明の優先日当時に、原告や各訂正発明の発明者以外の当業者が、セボフルランがルイス酸によって分解されることを知らなかったとしても、訂正明細書の発明の詳細な説明にはルイス酸がセボフルランを攻撃・分解する機構や分解を防止(抑制)する機構が一応記載されているし、各訂正発明では、前記のとおり一般にルイス酸抑制剤として周知な水が分解防止のための成分として採用されているから、麻酔薬に使用される組成物の調製程度のことであれば、必要に応じて上記の範囲内で含有水分量を適宜増量することで、当業者の技術常識に照らして、ルイス酸によるセボフルランの分解防止という各訂正発明の作用効果を奏することができるというべきである。
(4) 訂正明細書の実施例3、4で採用されている実験条件が通常想定される使用条件を超える過酷なもので、短時間で実験を終える加速試験の条件として設定されたものであるとすれば、上記実験条件下でも安定している薬剤は、上記実験条件未満の通常の使用条件の下でも安定しているものと考えるのが当業者の当然の理解であって、さらに詳細に製造条件等を開示するか否かは、明細書の作成者において発明の詳細な説明をどこまで具体的かつ詳細に記載し、当該発明の実施形態を詳細に開示するかによるものにすぎず、かかる詳細な製造条件等の開示が特許法36条4項1号の規定の適用上必須だとされるものではない。そうすると、審決の上記説示は誤りである。



事件の骨組
1.本件特許の経緯
平成10年 1月23日  特許出願、
発明の名称「 フルオロエーテル組成物及び、ルイス酸の存在下におけるその組成物の分解抑制法」
平成13年 4月27日  特許登録  特許第3183520号
平成17年 5月 9日  被告が無効審判を請求 無効2005-80139号
平成18年 6月21日  請求成り立たない旨の審決(第一次審決)
平成18年        被告が審決取消訴訟を提起 
平成18年(行ケ) 第10489号
平成21年 4月23日  審決取消の判決
平成21年 7月 9日  原告が請求項1及び4の訂正を請求 
平成19年 7月23日  被告が無効審判請求 無効2007-800138号
平成22年 3月26日  無効2007-800138号事件についての審決
平成22年 3月29日  無効2005-80139号事件についての審決



2.本件審決の理由の要旨
本件訂正発明1ないし4(以下まとめて「各訂正発明」という。)は、その発明の少なくとも一部につき、明細書の発明の詳細な説明に、当業者が実施することができる程度、すなわちセボフルランがルイス酸によってフッ化水素酸等の分解産物に分解されることを防止し、安定した麻酔薬組成物を実現するという所期の作用効果を奏することができる程度に、明確かつ十分に記載されたものではないから、平成14年法律第24号による改正前の特許法(以下単に「特許法」という。)36条4項1号の要件(実施可能要件)を欠く。

3.本願の特許請求の範囲の記載
(3-1)第一次審決のときの請求項1
請求項1 : 麻酔薬組成物であって、一定量のセボフルラン;及び少なくとも0.015%(重量/重量)の水を含むことを特徴とする、前記麻酔薬組成物。
(3-2)訂正後の請求項1
訂正請求項1: 麻酔薬組成物であって、一定量のセボフルラン;及び
206ppm以上、0.14%(重量/重量)未満の水を含むことを特徴とする、前記麻酔薬組成物。



4.第一次審決に対する判決(平成18年(行ケ) 第10489号)の概要
上記条件下において、109ppmの水しか存在しない場合にはセボフルランの分解を抑制することができず、206ppm以上の水が存在する場合にはセボフルランの分解を抑制することができたとの実験結果から、これを通常のセボフルランの製造、保存等における環境下に置き換えることにより、150ppmの水が存在すれば所期の作用効果を奏することができるとの結論を導き得ることを合理的に説明する証拠は一切存在しない。

 (被告らは)本件数値が「目安」にすぎないことの根拠として、「本件各発明の中核たる技術的思想(本件各発明は、数値限定にのみ特徴があるものではなく、『ルイス酸によるセボフルランの分解という新たな知見を見出し、かかる知見を基礎としつつ、従来不純物として認識されていた水を含ませることによってルイス酸によるセボフルランの分解を抑制すること』を発明の中核たる特徴とする新たな技術的思想に基づくものである。)及び審査過程から明らかであ(る)」と主張するが、上記アにおいて説示したところに照らせば、被告らの上記主張は、本件数値を、場合によっては所期の作用効果を奏しないこともあるという意味での単なる「目安」とみるべき根拠となるものではない。



5.当事者の主張
(1) 原告の主張
しかしながら、訂正明細書の実施例1ないし7は、いずれもその抑制対象となるルイス酸の量や貯蔵温度の点からして、セボフルランが通常取り扱われる環境下ではまず考えられない、本件特許に対応する英国の特許に関する英国の判決(甲1)にいう「最悪の場合のシナリオ」の例であることは明らかである。
訂正明細書の発明の詳細な説明の記載は、上記「最悪の場合のシナリオ」の範疇においても作用効果があることを示せば、「最悪の場合のシナリオ」よりも条件が悪くはない、より緩やかな「製造や貯蔵工程等」において「セボ麻酔薬」(セボフルランを含有する麻酔薬)がルイス酸に晒され得る環境(条件)においても、当然に作用効果があることを示すことができるとの趣旨で、実施例が記載され、水分量の下限が規定されているものである。
そうすると、訂正明細書の実施例(特に実施例4)における実験条件と、「通常のセボフルラン含有麻酔薬の製造、保存等の環境下での条件との・・・具体的な関係」は当業者には明らかであって、「実施例4において、40℃の恒温装置に200時間置くとの条件下にセボフルランの分解が抑制することができた1例があることをもって、セボフルランを含有する麻酔薬組成物中の水の量を本件数値範囲(206ppm以上、0.14%(重量/重量)未満)とすることによって、セボフルランがルイス酸によってフッ化水素酸等の分解産物に分解されることを防止し、安定した麻酔薬組成物を実現するという所期の作用効果を奏するものと当業者が理解し得ると認めることはできない」との審決の判断は誤りである。

 また、訂正明細書(甲121)2、3頁では、実施例1及び2等の具体的な実験結果を基に、セボフルランのルイス酸による分解の一般的なメカニズムが示されており、記載の体裁から、これがガラス容器に由来する代表的なルイス酸である酸化アルミニウム等に限って示されたものでないことは明らかである。



(2) 被告の主張
そもそも、各訂正発明の優先日当時、セボフルランがルイス酸で分解されていることは当業者に広く知られておらず、技術常識とはなっていなかった。すなわち、上記当時、当業者は、いかなる範囲の物質がセボフルランの分解をもたらすか、どのような条件でセボフルランの分解が生じるかを全然了知していなかった。
また、仮に訂正明細書の実施例4の実験が、通常の製造、保管、使用方法としてはあり得ない、原告がいう「最悪のシナリオ」の実験条件の下にされたのだとしても、上記のとおりのルイス酸の広範、相対的な性格にかんがみると、通常の製造、保管、使用方法による実験条件の下で、あらゆるルイス酸による影響についても判断ができるとはいえない。
したがって、「セボフルランの製造、輸送、貯蔵工程等、セボフルランがさらされる環境下において存在し得るガラス容器に由来するルイス酸以外のルイス酸が及ぼす影響を考慮に入れたものではない。」との審決の判断に誤りはない。
(要約 たくみ特許事務所 佐伯憲生)

  原告  アボツト・ラボラトリーズ
  原告  セントラル硝子株式会社
  被告  バクスター・インターナショナル・インコーポレイテッド